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心の旅

心のふるさとを見つける旅。断捨離、ミニマリスト、節約、ダイエットなどについても語ります。

ミニマリストの死。物を持たないミニマリストは、墓場には何を持ってゆくのか?

ミニマリスト

最近、本当に熱いですね。暑い時期は健康な人でも体調管理が難しいのですが、病気にかかっている人には、辛い季節であることは間違いありません。

永六輔千代の富士と、続けてお亡くなりなり、夏という季節と死のイメージを重ねたことはこれまでなかったのですが、初めて、死を想う夏となりました。

永六輔千代の富士も、ジャンルは違いますが、ともにトップランナーとして頂点を極めた人でした。

多くのものを勝ち得た人だったのですが、ふと思うに、こういう栄光の人は、墓場には何を持ってゆくのでしょうか。

よく、お金に執着する人を揶揄して、墓場にまで持ってゆけるわけではない、というふうなことが言われますが、永六輔や千代の富士のような偉人は、やはり、墓場にも凡人とは違う何かを持ってゆくのではなかろうか、と考えたりもします。

大きなことを成し遂げた人の気持ちは、凡人の私にはわかりません。で、今回はミニマリストの死について考えてみたいと思います。

ミニマリストは「持たない暮らし」をしている人を指すそうです。

いつ読むかわからない本をいっぱい積んである、衝動買いしたけれど着ることもない服がクローゼットに詰まっている、収納棚の中はガラクタがあふれ、開けただけで崩れ落ちてきそうだ……そんな暮らしからバイバイしようと、ミニマリストは日々「持たない暮らし」を実践しています。

では、ミニマリストは、墓場には何を持ってゆくのでしょうか?

 ミニマリストは、物をできるだけ少なくしようと努力しているのは、物が少ない方が部屋が広く使えるとかいう浅い理由からではないでしょう。

物をできるだけ少なくし、心にある夾雑物や老廃物もできるだけ減らすことで、実人生を豊かに生きたいという願いから、ひたむきに生きているのだと思います。

ミニマリストではない人、自分の強欲、邪念、煩悩などに振り回され、ぐちゃぐちゃな人生を生きた人は、墓場にはお金は絶対に持ってゆけませんが、「後悔」という巨大なお荷物を墓場にまで持ち込んでしまう。

逆に真のミニマリストは、実人生はパーフェクトではないまでも、悔いを残さない生き方をしているので、墓場にまで「後悔」を持ち込むという愚行は犯さないわけです。

では、真のミニマリストは、墓場には何を持ってゆくのでしょうか?

やはり、何も持ってゆかないと思います。

真のミニマリストは、実人生を燃焼し尽くして、死ぬ時には真っ白な灰になるので、墓場には何も持ち込むことはありません。

ミニマリストは生きる最小体。ミニマリストとは大事なものだけを持ち、あとは全部捨てて豊かに生きる人のことを指すはずですから。

無能無才。凡人の私は、何かを成し遂げることなどできないかもしれません。たぶん、ずっと自分の業には苦しみ続けることでしょう。しかし死の時には、悔いの残らぬように、「よくやったね、よく生きたね」と自分に言えるような心持で、灰になりたい、そんなことを思う今日この頃です。

生きる最小体としての自分自身を、この夏、見直してみたい。そして、悔いを残さぬように、一日いちにちを、大切に生きたいですね。