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心の旅

心のふるさとを見つける旅。断捨離、ミニマリスト、節約、ダイエットなどについても語ります。

貧乏の意味を知るために、中野孝次「清貧の思想」を読み始めた感想。

有名すぎるのですが、なぜか未読だった、中野孝次の「清貧の思想」をようやく読み始めました。

本編が24章、まえがきを入れると、25章で構成されています。

これはシリーズでレビューする(感想をまとめる)必要があると、直感しました。

で、今回は「まえがき」をレビューしてみますね。

 「清貧の思想」は、1992年9月に出版されました。いわゆるバブルがはじけた後で、人々の多くが進むべき道を見失っていた時代です。

まさにタイムリーな出版だったわけで、当時、ベストセラーになったのも、当然かもしれません。

では現代は、どうでしょうか。

ミニマリスト断捨離シンプルライフシンプリストなどなど、今もてはやされている言葉は、この「清貧の思想」と無関係ではない、と私は「まえがき」を読みながら感じました。

また、貧乏生活節約生活をテーマにしたブログがいかに多いことか。

1990年代といえば、ようやくVHSのビデオレコーダーが普及し始めた頃で、パソコンも、携帯電話も、スマホも、多くの人は持っていなかったのです。

「バブル経済」という夢から覚めた時、また長い不景気にあえいでいる時、人は何を考えて続けてきたのでしょうか。

さすがに「夢をもう一度」と、暴利をむさぼうろうと企んでいる人は少ないと思います。

お金や物によって豊かになるのではなく、ある程度の経済力や必要最低限の自らが厳選した物は持つけれども、お金や物そのものには酔わない、酔わされない生き方を目指している人の方も多いでしょう。

「清貧の思想」のまえがきは、当時の日本人観からはじめられています。

自動車、家電、エレクトロニクス、時計、カメラなどが世界中に輸出され、海外の人から見ると、日本人の「物づくりの技術」は大したものだが、そもそも日本人とはどんな人たちなのかが見えてこない、という疑問を抱いていたと中野孝次は言います。

一方で、多くの日本人が海外旅行をし、日本企業も海外進出しているため、外国人が多くの日本人を見た時代でもあったのですが、日本人たちと観察した外国人たちは、日本人は物を作って売るだけの人間なのか、その他の文化は持たないのかという否定的な印象を持っていたと中野孝次は指摘します。

そうした日本人観に対し、中野孝次は真逆の意見を述べるのですね。

日本には「ひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある」と中野孝次は主張します。

以下、大事な箇所を引用しておきます。

現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。

私の場合、中野孝次のような教養があるわけでないので、直感的に「このままでは、本当の自分が歓ぶ生き方ができないだろう」と思い、意志的に「貧乏生活」を目指し始めました。

決して「高尚な生き方」を希求しているわけではなく、ただ少しでも「自分らしく」、残りの人生を暮らしたいと願うだけです。

その中において「精神的な豊かさ」を求めていることは言うまでもありません。

最後に、中野孝次が引用している、ワーズワースの詩句が気に入ったので、引用させていただきます。

低く暮らし、高く思う。

さすが詩人ですね。今の私の気持ちを、物の見事に代弁してくれています。

座右の銘にすることに決めました。